開雲寺について

略縁起

開雲寺は西暦781年、下野薬師寺戒壇院第五世・恵雲律師によって現在上墓地のある塔ノ下に、中国より請来の薬師如来を御本尊として「瑠璃光院東光寺」として開山されました。
 
境内は東北南の三面には濠を巡らし七堂伽藍の大山でありました。
 
1502年、宇都宮左少将成綱朝臣が多功岩見守満朝に命じ東光寺を現在地に移し、伽藍を再興、澄海上人を請じて阿弥陀如来を御本尊として安置し、「円明山開雲寺」と改称しました。
 
江戸時代を迎え、1604年には徳川将軍より寺領七石並びに寺中竹木免除の朱印を賜わり、日光廟造営後、徳川将軍家の日光東照宮参拝道中の休泊所となります。
 
1649年、宇都宮城主奥平忠昌が将軍の休泊所として御殿所を構築し、1664年に寺に寄与して以後「御殿所開雲寺」と称するようになりました。
 
さらに忠昌は1671年、石燈篭一基を寄進しており、この燈篭は山門を通り左手に現存しています。
 
また、この当時を物語る絵図面も残っており、開雲寺の興隆を偲ぶことができます。
 
しかし、江戸時代も末期を迎え世相不穏の中、1850年には類焼によって殿堂を焼失、さらに再建の最中、1854年に失火、再び殿堂を焼失してしまいました。
 
翌年には仮の建物を建築しましたが、以後開雲寺は、第三十五世俊明の代、1971年に本堂が、1987年に書院・記念堂・庫裡が落慶するまでの一世紀以上にわたり仮住まいを続けることになります。
 
明治に入ると、元年より、真岡県・日光県等が統合され栃木県となるまでの約4年間、開雲寺に仮庁舎がおかれ、1876年、明治天皇の奥羽御巡幸に際しては開雲寺において御休憩されるなど、近代化の流れの中でも重要な役割を果たしてきました。

寺に伝わるもの

本尊阿弥陀如来座像:秘仏とされており、毎年 811日の大施餓鬼会法要の日に開扉され、お姿を拝観することができます。南北朝時代の制作であり、五劫思惟の阿弥陀如来という稀なお姿をしておられます。
梵鐘:宝暦 8年の作。乳がないという珍しい形のため、第二次世界大戦中の供出を免れ、届書とともに旧石橋町(現下野市)指定文化財に指定されました。
徳川三代将軍手植の槇:落雷によって倒木。現在は根の部分だけが残っており、その前には記念碑があります。
 
徳川三代将軍家光の書:日野大納言にあてた書状

三ツ葉葵の御紋入り道中茶釜:道中に使用する茶釜
開雲寺境内図:元禄3年、西暦1690

三体地蔵尊:安産子育・日限・病眼の三体の地蔵尊を安置し、毎月23日を縁日として勤行詠歌奉詠しています。特に秋彼岸の大縁日護摩供法要厳修には、利益・加護を願う信者が集い、盛況を呈しています。

昭和46年、本堂再建に際して篤信の檀家、宇都宮大学名誉教授・宇都宮市文化財保護委員であった、渡辺安友画伯によって制作、奉納されました。

 

連絡先

真言宗 智山派 
御殿所 石橋山 阿弥陀院 開雲寺 

栃木県下野市石橋284-1 
電話(0285)53-0408
http://www.kaiunji.jp
  

関係先リンク